「僕らはまったくどうでもいい物に必要以上の意味づけをしてしまうということを指摘したいだけなのだ。」(p193)
『 minimalism ― 30歳からはじめるミニマル・ライフ 』という本の中の一文である。
はっきり言ってなかなか読み進まなかった本だ。
しかし、写真集制作などパソコン作業ばかりをしていたら活字を読みたくなり、
パラパラ読んでいるうちに上記の一文に出会った。
私は じっとこの一文を見ていた。
この本は長倉顕太さんの御著書、『超一流の二流をめざせ!』の中で、
長倉さんが影響を受けた本として紹介されていた。
長倉さんは数多くの対談動画を配信している。
その中のミリオンセラー作家 井上裕之さんとの対談のなかで、
「本とかも一冊ずつ読まなきゃいけないと思っている人がいるけれど、本なんか読まなくていいんですよ、買えば」
ここで終わるとなんじゃこりゃ!の文章だけれど、この後に続く真意。
「本なんていうのはたくさん買って、読むか読まないかは別としてパラパラめくって1つでもアイディアが手に入ったら1000円とか2000円とか安いんですよ」
パラパラめくって1つでもアイディアが手に入ったら十分価値がある。
私は長倉さんのこんな考えが好きである。
そして私は前述した文章に目がとまった。
最近、twitterやfacebookのタイムラインをスクロールしているうちに、
本当に自分が必要としているものではない情報までもが入ってきてしまう気がしてならなかったのだ。
私はfacebookによって実際に人生が変わったから、
これらのSNSが悪いものと定義したいわけではない。
ただ、自分で自分のSNSの使い方を客観的に自覚しなければ、
つまり、
タイムラインに出てくる情報に振り回されていると、
本来自分がやりたいことや手に入れたいことが遠退いていってしまうということ。
「自覚 自由を得るためにも、周囲の状況や自分に起こっていることを自覚することが重要だ。僕らはそれを大切にしなければならない」(p197 minimalismより)
長倉さんはよく、「理不尽を受け入れられるかが大事」と仰っている。
きのう、過去のfacebookの投稿を抜粋してブログに移していたのだが、
そのなかで、AKIRA師匠に出会った時の投稿をみつけた。
私は知らない間に理不尽を受け入れていたんだと思った。
朝電話が来て、背景に使えそうな絵があったらもってきてと言われ、
壁に貼って途中まで描いていた絵をはがしてライブへ持っていったのだ。
未完成なのにもかかわらず、よくやったよね。
帰って速攻作業しはじめて徹夜で9時間かけて3倍の大きさにした背景画を翌日のライブへ持っていった。
この時があるから師匠と今の関係がある。
→ AKIRAじぃじとの出会い。
ここまでやってから、「私もAKIRAさんの弟子なんです」と言ってくれよ、私と一緒にするなよ、とか思ってまう。
ごめんなさい。
正直そう思ってしまう。
まぁいいや。
なんでもいいや。
わたしは私だ。
万人に好かれるのは無理だから。
きらわれても別にいい。
あ、きらわれる勇気やん。
「きらわれる勇気」
1
きらわれる勇気をもちなさい
自分にウソをつかない勇気を
いつも笑顔がすてきだね
みんなのためにがんばるね
誰かに認められたくて
いい子を演じてた
いつでもひとのものさしで
自分自身を測ってた
他人がつけた点数で
決められてたまるか
きらわれる勇気をもちなさい
自分にウソをつかない勇気を
きらわれる勇気をもちなさい
裸のままで抱いて
2
言いたいことも言えなくて
やりたいこともがまんした
まるで他人の人生を
生きていたんだね
どうすりゃあたしの人生を
もいちど取り戻せるのだろう
宗教 セミナー スピリチュアル
またまた人任せ!
きらわれる勇気をもちなさい
自分にウソをつかない勇気を
きらわれる勇気をもちなさい
裸のままで抱いて
死ぬまで仮面のままで
そのままでいいか
死ぬまで奴隷のままで
そのままでいいか
還れ還れ餓えた狼に還れ
還れ還れお前自身に
これがあたしだザマーミロ
文句あるやつぁあっちいけ
これはあたしの人生だ
あんたのものじゃない
きらわれる勇気をもちなさい
自分にウソをつかない勇気を
きらわれる勇気をもちなさい
裸のままで抱いて