2015年9月20日日曜日

わたしはみんなに笑っていてほしいんだ。





昨夜は北の燐寸アート展の交流会だった。


おいしそうなオードブルがならんでいる。


あ!そうだ!うっしっし


わたしは束で置いてある割り箸の箸袋のうらに

「あたり♡」

と、

3膳だけに書いておいてみた。






乾杯のあと、

さぁ、たべましょう!

と、主催のれいさんが仰ったあとに、

「この箸のなかにあたりがまぜてあります!

あたりを引いた方はきっと良いコトがあるでしょう!!」


と、わたしは言ってみた。



みんながちょっと楽しそうに見えた。







あたりだ!

と、苫小牧からいらしてる美人さんが当てた。



一足先に帰った苫小牧の美人さんからメールが来た。


電車降りた後に100円ひろったよ!!

良いコトあった!ありがとー!

って。




おおお!!早速良いコトありましたね!


ここでたかが100円かい!と思う方もいるかもしれないが、


こうやって小さいラッキーを見つけるようにしていくと、


ラッキーがどんどんたまっていくのよ。



そしてツイてる!!ってことが起きていくのよ☆








最近わたしは嬉しいコトが起きている。


先日、ママが某ショッピングモールに行くというので、

わたしも行く!とついて行った。


店内では別行動やけど。



わたしは2012年春まで、全国展開している某ショッピングモールの

室内ゆうえんちのおねえさんをしていた。

その某室内ゆうえんちの札幌にある支店に久しぶりに行ってみると、

店頭にモニターを置いてお店のキャラクターのアニメが流れていた。

みんなから観ると普通のことだと思うんやけど、

わたしはそれがすんごい嬉しいことだったの。

それはね、

わたしはそこで勤務していた頃、販売促進の担当をしていたのよ。


4年前、友人たちに手伝ってもらいながら

お店のキャラクターのパペットを使い、アテレコを入れ、

自分でイベントのCMをつくり、

お店で使われていなかったモニターをひな壇に設置し、

モニターの周りを装飾して、

CMを流していたのよ。



これがわたしの映像編集の原点だった。



4年前のわたしは、他の店舗も映像で販促したらエエのにと思っていて、

それが今、やっと本社は動いたか!とわたしは思ったの。


わたしはまちがっていなかった!

わたしのセンスはまちがっていなかったんだ!!と妙に胸が熱くなり、

ニマニマが止まらなくなった。


わたしはいつも時代を先取っている。



食品売り場のママと合流。


わたしはカートを押すママの後姿を見ていた。



パパの気持ちでママを見つめてみよう。と

パパの気持ちになってみた。


思い込みだけど。



新婚のときの気持ちになってみた。


ママがとっても可愛くて、すんごい愛おしい気持ちになった。


パパは去年の3月に亡くなった。


わたしは今、パパが愛した人と過ごしているよ。


たまにそんな気持ちになる。



ま、ママはいつもかわいいんやけどね。




最近、世の中はゴタゴタしているけれど、

わたしはみんなに笑っていてほしいんだ。



ってことで、


師匠の名言発掘中にみつけたおもしろい日記をここにシェアしますわ☆



 2001.09.20.

町内野球の助っ人に呼ばれた。
結果は十五対〇のコールド負け。

二打席ノーヒットとまるでいいとこなかったので、昔の武勇伝をお聞かせしよう。
オレが小学校五年生のころ、オールスターチームを結成した。

クラスの枠を越え優秀な選手ばかりを集めたのだ。

まずはチーム名から決めねばならぬ。

「リトルジャイアンツ」「ブルーシャークス」「ホワイトイーグルス」など(まるで今回の戦争作戦名「ノーブルイーグル」みたいだな)、カッコイイ名前が出そろったときだ。

オレがおもむろに立ち上がり、こう提案した。

「ふんどしマルメーズ」

日光小学校のグラウンドで円陣を組んでいた選手たちが、腹をよじって笑い転げる。
当時、ブッシュ政権なみの独裁をひいていたオレの提案がとうり、本当にチーム名は「ふんどしマルメーズ」になってしまった。
さっそくオレは「ふんどしマルメーズ」の頭文字HとMを組み合わせたマークをデザインし、運動具店に特注した。白をベースに紺地のフエルトでできたマークは帽子とユニフォームの左胸を飾った。
さすがにズボンのまえにふんどしをたらすという提案は、ゴロがとれないという理由で却下された。
「ふんどしマルメーズ」は連戦につぐ連勝。近隣の町の五年生チームをことごとく破った。おまけに六年生のオールスターチームにまで勝利してしまったのだ。
 
おかしな名前と強さがうわさになり、「県大会に出てみないか」と声がかかった。オレたちは部活でもないし、大人の監督などいない小学生自身のインディペンデントチームだった。しかし県大会に出るチームはプロや大学野球を引退した監督のもと、何年も組織練習を積んだ強者たちだ。
甲子園経験者の池上監督がついた。
サインプレーなどやったことのないオレたちは、バント練習など退屈だった。
なにより出場にあたり、「ふんどしマルメーズ」を「日光クラブ」に変えられたのが屈辱だ。
県大会当日、応援団とともにオレたちは大型バスで宇都宮にある県営グラウンドにのりこんだ。芝生がきれいに刈りそろえられ、ナイター設備というものをはじめて生で見た。

オレたちは遠足とかんちがいし、三〇〇円以内と決められたお菓子を交換したり、卵焼きをとりあったりしている。
相手は強豪がひしめく宇都宮予選を勝ち抜いてきた「細谷クラブ」という。ダブルプレーや満塁シフトなど、高校野球なみの練習をしているのを見た池上監督が、ため息をついた。
「だめだこりゃあ、日光の山猿とはレベルがちがうわ」
オレたちはベンチにはいってからも「ポッキー一本につき、アーモンドグリコ二個だぞ」と言い争いをしている。
「プレイボール!」
塁に出た相手チームの走者が一塁を守るオレに訊いた。
「あのうみんなで話していたんですけど、なんで日光クラブなのに、マークがHMなんですか?」
オレは胸のマークを突きだして答えたさ。
「オレたちゃ、ふんどしマルメーズ!」
試合の結果は誰もが予想しないものだった。
九対三の大差で勝ってしまったのだ。しかもオレは四打席三安打の猛打賞。
いちばん驚いていたのは池上監督だったんじゃないかな。
初戦を勝ち抜いたつぎの相手は、なんと前年優勝している栃木千塚だ。
一番打者のオレは、ライト前ヒットで出塁した。べつに俊足でもないオレだが、即盗塁。
オレの中では盗塁は義務なのだ。

三塁に盗塁。タイミングは完全にアウトなのに、なぜかキャッチャーが暴投したり、エラーが出る。
「タイム!」
池上監督が自ら三塁に走り寄ってくる。百戦錬磨の相手チームはものすごい秘策を授けていると思ったろう。
鬼の池上監督がひたいの汗を何度もぬぐいながら、懇願する。
「アキラ、お願いだからホームスチールはやめてくれ。少しはチームプレーというものを考えろ」
必死の懇願にも耳を貸さず、オレはアーモンドグリコの甘い汁をにゃんにゃんしている。
走った。
しかしその瞬間、バッターがぼてぼてのサードゴロを打ってしまった。バックホームにまにあわない三塁手は一塁に投げた。オレは楽々ホームインにもかかわらず、ヘッドスライディングを敢行した。
優勝候補は常識はずれのヒットエンドランに茫然としている。
 
先取点の出迎えで沸くベンチをまえに、オレはつばを吐いた。
「ちっ、これでオレのホームスチールが目立たなくなっちまった」
翌日の新聞は、初出場の「日光クラブ」が優勝候補を四対三で破ったと書き立てた。
 
天狗になったオレたちはつぎの試合で無名の「馬頭クラブ」に一〇対〇で負けてしまった。
あまりの暗い雰囲気に、オレが最後の打席でやろうとしていた奇策を実行できなかった。
ユニフォームのまえにたらすふんどし(白手ぬぐい)を用意していたのだ。もちろん墨汁でこう書いてある。

「ふんどしマルメーズ」



2001.08.18.

米の話でひとつ思い出したことがある。
あれは94、5年のことだったと思う。オレは吉祥寺の六畳一間、風呂なしのアパートに住んでいた。アート活動のほうが忙しくて、定職やバイトにも就つけなかった。
ジュリアーナ東京などを手がけた建築事務所がときどき仕事をまわしてくれ、レストランの壁画などを描いていた。
もちろんそんな仕事は年に数回しかないし、絵に描いたような貧乏アーティストの暮らしだ。
商店街から盗んできた観賞用の花キャベツをゆでたり、電話帳をお湯でふやかしマヨネーズ(なぜか冷蔵庫にはマヨネーズだけがあった)をかけて食ったこともある。
日本中が米不足と騒ぎ、タイ米を輸入したら大量にあまってしまった。米屋は日本米を買った客に強制的にタイ米をつけるという異常事態だ。家庭では「タイ米なんかまずくて食えない」と捨てているらしい。
オレのコンセプチュアル・アーティストとしての直感がひらめいた。なにしろアーティストというのは人と反対の発想をするのが仕事だからね。
地獄で蜘蛛の糸を見つけた餓鬼のごとく飛び起き、ワープロでこんなポスターをつくった。

タイ米を捨てないで!
わたしたちは皆さまに食べていただくため生まれてきたのです。
捨てるまえにご一報ください。回収に参ります。
稲穂の会

自分でつけておきながら「稲穂の会」には空っぽの腹を抱えて笑った。もと犯罪者でスカトロ書道なんかをつくってる危険人物が「稲穂の会」だぜ。しかし笑ってる場合じゃない。気高く餓死するより、生きのびることのほうが先決だ。
ちゃんと電話番号をちぎれるようにタコ足状にはさみを入れた。
コーポやスーパー、米屋の近くの電柱にポスターを貼りまくる。
するとその日のうちに電話があった。ピザの宅配屋よろしく地図で正確な住所を確認し、「一時間後にうかがいます」と電話を切った。
無地の黄色いTシャツがあったので、墨汁で稲の絵を描き「稲穂の会」といれた。ドレッドを束ね、なるべくきれいなジーンズをはき、バックパックを背負ってママチャリにまたがった。
三鷹の市民プール近くの閑静な住宅街で住所を探していると、中年の主婦が声をかけてきた。
「稲穂の会の方ね?」
あまりに唐突だったせいもあり、思わずオレは噴き出してしまった。せき込んだふりをして必死にごまかす。
「そ、うです。わたくしは「稲穂の会」武蔵野支部の者です」
ルックスで怪しまれるかと思ったが、有機農法などをやっている青年に思われたらしい。奥さんは近所の友人から集めておいたという大量のタイ米をくれた。
「助かったわ。みんな処分に困っていたの。そのお米はタイに送り返すの?」
「はっ、そのですね。つまり、そのう……東南アジアから来た留学生たちに配るんです。
みんな故郷の米が食べられると大喜びです」

その後「稲穂の会」は十数軒の家にうかがい、二週間のあいだにすばらしい成績をあげた。オレの押入れが米であふれ、三ヶ月は腹いっぱいのめしにありつけた。

しかしひとつだけ困ったのは、汚いかっこうで近所をうろつけなくなったことだ。一度コーポで買い物をしていたとき、いきなり「稲穂さん!」と声をかけられ、キュウリを床に落としたことがある。

ジョン・レノンは「ユーモアは貧乏人の財産だ」と言ったが、貧乏だからこそ生まれる知恵もある。









個展だよ よろしくね。

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