パパのことを祈ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。
最高な人生の締めくくり方だったと思います。
たくさんの奇跡を見ました。
3月3日はパパの誕生日で、その時には家族みんなで集まりたいと思っていたら、お兄ちゃん家族も時間の調整がタイミング良く出来て、家族みんなでパパの誕生日を祝うことができました。
パパは73歳になりました。
パパの理想寿命が73歳~75歳だったので、生きて誕生日を迎えることが出来て、本当に良かったと思います。
パパの理想寿命が73歳~75歳だったので、生きて誕生日を迎えることが出来て、本当に良かったと思います。
家族の顔が見れたことで安心したのか、その日の夕方から容態が変わり、それまで24時間ヘルパーさんに居てもらっていたけれど、家族も泊まることになり、その日の夜はお兄ちゃんが付き添いました。
翌朝5時に私は、ママとお姉ちゃんと一緒に病院に行き、東京に帰るお兄ちゃんと交代しました。
(早朝は正面玄関がまだ開いていないので、裏口からまわります。インターホンの横に番号のボタンがあって、ママが部屋の番号を押そうとして、イヤイヤ、マンションのオートロックちゃうねんからってお姉ちゃんと私でツッコミ、大笑い。どんな状況でも笑いの耐えない家族です)
お姉ちゃんは数時間後には仕事に行き、ママも午後に犬の散歩や家の電気をつけておくために一時帰宅したり。
私は朝の5時から出来る限りパパの手を握っていました。
少しでもパパの不安や恐怖を取り除きたくて。
ここにいるよと伝えたくて。
少しでもパパの不安や恐怖を取り除きたくて。
ここにいるよと伝えたくて。
お兄ちゃんと交代したときから、パパは全然目を閉じなくて、寝れていないことがとても心配だった。最期だから目を閉じないのかな?とか思っていた。
不整脈で、心拍数が上がったり下がったり、ちょこちょこ心拍数のラインが横線状態が増えたり。
不整脈で、心拍数が上がったり下がったり、ちょこちょこ心拍数のラインが横線状態が増えたり。
呼吸を忘れるから、「パパ呼吸しようね~息吸おうね~、そうそう!その調子だよ~」と声をかけていた。
とにかくお姉ちゃんたちが帰ってくるまではと思って。
とにかくお姉ちゃんたちが帰ってくるまではと思って。
去年の夏には何も再発していなかったけど、突如秋くらいからなのか直径15センチ以上にも膨らんだ腫瘍がお腹の中に。
痛みを和らげるためのモルヒネ投与でパパは幻覚も見えるみたいで、私たちに見えない人たちとおしゃべりしていた。仕事のことばかり話してた!
今年の6月にパパが立ち上げた会社が創立35周年を迎えます。創立35周年パーティーまで頑張るために、抗がん剤治療をしようとパパは意気込んだのですが、体力が残ってなくて、抗がん剤治療を断念しました。
私は代替療法とかの選択肢があることは知っているけれど、パパの人生だから治療法についてはとやかく言うのをやめようと思って、ただホ・オポノポノのクリーニングをしたり、穏やかに過ごせるように祈っていました。
私は手を握り、
パパ愛してるよ
パパ、ママのことは私が守るから安心してね
パパ感謝してるよ
大丈夫だよ、大丈夫だよ
パパ、ママのことは私が守るから安心してね
パパ感謝してるよ
大丈夫だよ、大丈夫だよ
と言っていました。
そのたびにパパは笑顔で、握っている手を力強く握り返してくれました。
そのたびにパパは笑顔で、握っている手を力強く握り返してくれました。
私は伝えたいことを伝えることが出来て、本当に良かったと思います。
私はパパに、ママに最期に言っておきたいことはないの?今までついてきてくれてありがとうとか!と言ってみた。
ママは、もう言わなくても分かってるから良いの。って言った。パパも頷いていた。
ママは、もう言わなくても分かってるから良いの。って言った。パパも頷いていた。
パパは、なんで僕たち出会ったんだろうね。と言った。
なんかとてもロマンチックな言葉だった。
ママは、さぁね、どうしてでしょ。って言った。
私は、わたしはパパとママを選んで産まれてきました。だから、パパとママが出会ったのかもしれないよ。と言った。
パパは、頷いていた。
家族の前では半分魂が抜けたような顔をしているけれど、仕事のお得意様やお世話になった方々、会社のみなさんが来てくださる度に、ガバッて起きて、笑顔でありがとう、こんな姿でごめんねなどと声を絞り出して言っている。
お客様が来る度に体力は使ってしまうけれど、これで早く死んだとしても本望だって言っていた。
私とママで4日の夜泊まっているときには、まだ目を開けたままでまばたきが出来ない。
とりあえず私たちも寝なきゃ寝不足で体調崩してしまいそう。
寝ようとすると、起き出す。点滴の管もはずそうとしちゃう。
とりあえず私たちも寝なきゃ寝不足で体調崩してしまいそう。
寝ようとすると、起き出す。点滴の管もはずそうとしちゃう。
もう辛そうで辛そうで、看護師さんを呼んで楽にしてあげてくださいとお願いしました。
もう最期だと思った。
目は開けているけれど、寝てるっぽい。
朝になり、看護師さんたちが体を綺麗に拭いてくれることになり、休憩室へ出た。
もう返事もしないでこのまま旅立つんだろうと、みんなが思っていた。
朝になり、看護師さんたちが体を綺麗に拭いてくれることになり、休憩室へ出た。
もう返事もしないでこのまま旅立つんだろうと、みんなが思っていた。
部屋から看護師さんたちの賑やかな声が聞こえる。
「きゃ~!笑ってる~♪」
「きゃ~!笑ってる~♪」
部屋に戻るとスッキリした顔で目覚めたパパ。
「おはようございまーす!」とはっきり言った!
びっくりした。
「おはようございまーす!」とはっきり言った!
びっくりした。
宙を見てるけど、私たちのことも見えてるみたい。
落ち着いているようで、なんだか大丈夫そうだから、私は一度家に帰ることにした。
帰ると一晩、独りぼっちで過ごした愛犬が出迎えてくれた。
この子のことも、淋しくさせたくないと思って、この日の夜はお姉ちゃんが一人で泊まってくれるって言ってくれてるから、パパのことは頼むことにした。ママも帰ってきた。
野菜たっぷりのお味噌汁と、ルネサンスごはんを作り、一杯だけビールをママとたしなみ、寝不足な私とママは、早めに就寝した。
深夜1時すぎにお姉ちゃんから今すぐ来てほしいと連絡が来た。
急いでママとタクシーで向かった。
病室に着くと、泣き顔のお姉ちゃんがいた。
お姉ちゃんが一人でパパが永眠するところを見届けてくれた後だった。
お姉ちゃん一人に死ぬ瞬間の苦しむような姿を見せてしまった。
私やママはこの時は泣くこともなく、あぁ、やっと楽になれたねー。苦しかった管もはずせて楽になれたねって思って笑顔だった。
パパはとても安らかで良い顔をしていた。
タイミングもすべて計算され尽くしたようなタイミング。
他の患者さんに気付かれることのない時間。
そしてパパはきっと、これからバタバタするからママに寝る時間を作ったんだなと思った。
さらに永眠するまでには交代交代で家族全員がパパと一晩ずつ過ごすことが出来た。
また、最期に会いたかった仕事のお得意様や会社のみなさんすべての人に会ってから旅立った。
この時はとても吹雪いていたけれど、札幌の夜景も、星空も、キラキラと光り輝く札幌テレビ塔も、藻岩山も、パパの会社のある電車通りも見える最高な、パパの大好きなこの病室で。
生前から、この場所で私は死ぬんだ!と言っていたようだ。
ここからの手続きなどはお姉ちゃんとママがパパと生前から打合せしていたから段取りがバッチリ。
すべての行動がスムーズに進む。
一時間後には、葬儀屋さんと共に帰宅。
やっと愛犬の待つ家に帰ってこれたね。
パパの希望ですべて家で葬儀を行う。
愛犬と一緒にみんなで家族だけでの葬儀。
愛犬と一緒にみんなで家族だけでの葬儀。
最期のお別れに仕事のお得意様や会社のみなさんが来てくださった。
パパの人望や人徳はとても凄いんだと改めて感じた。
納棺するときに、スーツや眼鏡も入れて良いとのことで、スーツはママが選び、ネクタイとワイシャツは私がコーディネートした。時計はお姉ちゃんが選んで、お兄ちゃんがプレゼントしたサングラスも入れた。
おしゃれさんなパパは、スーツもワイシャツもネクタイも大量。
でも、クローゼットを開けて、すぐこれだとピンときた。
宇宙に還ったパパに宇宙のデザインのネクタイでしょ!と。笑
ワイシャツはそのネクタイに合わせて。
おしゃれさんなパパは、スーツもワイシャツもネクタイも大量。
でも、クローゼットを開けて、すぐこれだとピンときた。
宇宙に還ったパパに宇宙のデザインのネクタイでしょ!と。笑
ワイシャツはそのネクタイに合わせて。
他にはパパが一緒に入れてほしいと言っていた原稿用紙とペン、私が削った鉛筆に、自分の名前で発行した最後の新聞と、今の社長になってからの最新の新聞。
パパは、流通業界の新聞社を立ち上げて、記者としても行動していた。数年前に会社を引き継いでもらい、今は相談役となっていた。
死ぬ数日前まで最後の記事を書く!と言っていたようだ。
生涯現役とは、このことを言うのだろうな。
パパはいつも私たちに、好きなことをしなさいって言っていた。
パパは、自分の道を突き進んでいた。
自分の親もママの両親も見届けたし、もう死んでも全く悔いも後悔も無いと言っていた。
自分の親もママの両親も見届けたし、もう死んでも全く悔いも後悔も無いと言っていた。
永遠の眠りについたパパは、本当にとても良い顔をしている。
ここに写真を載せたいくらい!
ここに写真を載せたいくらい!
私は今朝、雪掻きをした。
みんなお見舞いや仕事で時間を割くことが出来なかった雪掻きは今の私に出来ることだと思って、ひたすらに集中して雪掻きをした。
みんなお見舞いや仕事で時間を割くことが出来なかった雪掻きは今の私に出来ることだと思って、ひたすらに集中して雪掻きをした。
とにかく大きな車が門の中に入れるようにと思って。
葬儀屋さんが来て、車を中に入れてくれて、あぁ!良かった!役立った!と思った。
納棺まで見届けて、あとはお姉ちゃん家族やママや近所に住む親戚にお願いして、予定通りの飛行機で帰ってきた。
ママもお姉ちゃんも、やることやってくれたからあんたはこれからの人なんだから、自分のことをやりなさい。大阪に帰っても良いよと言ってくれたので。
棺の中のパパに、天国にいってらっしゃーい!!と声をかけて出てきた。
帰りの飛行機は、窓側になった。
きっとパパがプレゼントしてくれたんだろうな。
きっとパパがプレゼントしてくれたんだろうな。
きっとパパは一番輝いている星になったんだ。
私は宇宙と繋がっている。
だからいつでもパパと繋がっている。
生前、パパに許可を頂き、パパの書斎をアトリエにさせてもらうことにした。
私は活動拠点を札幌に移します。
関西にもちょくちょく来ます。
理想は、関西と札幌のノマドライフ。
関西のみなさん、これからもよろしくね。
札幌のみなさん、これからさらによろしくね。
関西にもちょくちょく来ます。
理想は、関西と札幌のノマドライフ。
関西のみなさん、これからもよろしくね。
札幌のみなさん、これからさらによろしくね。
私は今、とてもしあわせです。
ありがとう、パパ。
大好きだよ、パパ。
大好きだよ、パパ。