2015年2月3日火曜日

31歳になるにあたり


ニューヨークではまだ2月2日だが、日本時間だともう誕生日だ。私が生まれた頃から時差というものは変わっていない(はず)。

時間というのも一つの概念に過ぎないが31年生きてこられたことにありがとう。パパ、ママ、たくさんのじいちゃんばあちゃんありがとう。愛し合ってくれて。

そしてたくさんのメッセージもありがとうございます。

みんなの目に映っているんやね、私。
良かった。透明人間じゃなくて。

私、初めての31歳です。

はじめまして。







思ったことを連ねる。

まず、【良い意味で自分に期待しない】

へたに目標や夢があると、現状の自分と理想の自分とのギャップに苦しくなったり焦ったりしてしまうからだ。

なりたい自分を思い描くのは良いが、理想にがんじがらめにならない。

どうなるかは分からないが、どうなるか楽しみにしておこう♪という楽観的スタンスにしよう。
今、目の前にあることに全力を出しながらそして適当に今を楽しむ。

必要なのは、柔軟な対応力。

  《 成るように成る! 》

ただこの言葉は行動してこそ意味のある言葉だ。



【はじめから作品の完成度を気にしすぎない】

私が「素晴らしい人を知ることが出来た!」と感動すると、実はもうこの世には居ないってことが最近続いているんだ。
若くして亡くなっている。

私も明日事故に遭うかもしれへんし、このあと心臓発作で倒れるかもしれへんし、誰かに命を狙われるかもしれない。(どんな状況やねん)
いつ死ぬかは分からないからこそ、どんなにくだらなくても思い付いたことをどんどん形にしていこうと思うんだ。
私が形にしようとしなければ、私の頭に浮かんだものは生まれることが出来ない。
   《 創作活動は出産か! 》

そうして創っている時に、もっとこうしてみようとか、このやり方をこうしたら良いかも!って試行錯誤しながらより良いものが創れると思うから、とにかくひとまずやってみることだね。
《 中途半端を恐れて行動しないよりも、中途半端になっても良いからやってみること 》



【そして、やり続けること】

美術館で観るものの中には、なんでこの作品がこんなに評価されているのだろうかとよく思うことがあるが、そういうのを観ていても、作者の年齢を見ると、「やっぱり続けることなんだなぁ~」って感じた。これは多くの人が私に投げかけてくれる言葉でもある。



【作品と人間性】

ホンマに、美術館で作品観るとよく悩む。
「この色、気持ちいい~」とか
「この色合い好きやわぁ~」とか
「この色、なんかめっちゃ元気でる!」とか
「この作品観てると胸が熱くなる」とか、
結局、作者について知らないと、作品に対して好きか嫌いか、とか、衝撃を受けるか否か、圧倒的破壊力を感じたりするかなどの見方をしていることに気付く。

なんでこの作品がここに飾られているのだろうか、とか正直思う。そんな時に悩む。(衝撃を受けた時にも悩むけど)その場合、その作者の売り込みなども含めた“人間性”に掛かってくるのだろう。
周りの人のマネジメントによるとしても、周りの協力を得られるというのは作者の人間性によるよね。

実際、今、生きている私の場合、この たなかしの という人間が創る作品というものは一体どんな作品なのだろうか?と私のパーソナルを通して“作品”を観る人が大多数だ。一方、美術館やギャラリーに作品をどんどん出している著名人、特に亡くなった人の場合の作品は、作品が《観る人にどんな影響を与えられるか》なんだよな。

私のような見方をする人にとったら。

あまりにも著名で存命の作者の場合はメディアを通した作者の印象が作品にフィルターをかけてしまっている場合もあるが。




【生き様が作品】
私が死ぬまでに出来ることは、生き様を目の前の人に見せられるってことだね。
生きてる間に私が出来ることは、《人間性を売り込むこと》なんだろうね。




【コンセプト?】
私が作品を観るとき、作品のコンセプトというのはあまり知ろうとしていない。

見たまんまの上っ面しか見ていない。
それが良いか悪いかは分からん。
悪いと言われても、私はずっとこんな感じやし。
コンセプトを聞いて、なるほど~!とも思うけど。

最近はコンセプチュアルアートがやたらと多くて嫌んなる。

私自身、伝えたいことは言葉にして作品にする。
又は、言葉を添える。
「伝えたいことはこの作品に詰めました」と言ったところで抽象的なものを見せても、伝わるのは伝えたいことの数%だろうから。


あと、作品を観てるときによく感じるのは、「もっと自由にやって良いんだよなぁ」ということ。
いっつも感じる。
いっつも感じるのに、
自由にやったら良いのに、
どこかカッコつけようとする自分だったり、
うまく見せようとする自分がいるんだ。

やだやだ。

どこか解放出来ていない部分があるってことなんだろう。

この世には超上手い絵を描く人もいるし、めっちゃ迫力ある作品をつくる人もいるし、たくさんたくさん色んなアーティストがいる。比べたら切りがない。
どんな作品になろうが私はもう創ることしか出来ない人間だから、創るしか無いんだよ。何かしらを。

「この作品はマスターベーションだ。マスターベーションだったら家でやれ」と言われても、私はやるしかない。

そして、こうやって書くってことは、自分に言い聞かせているってことだ。
人と比べちゃって、全然ダメだって思ってしまう。
ダメだと思っても、やっていくしかない。

つまり

比べる時間があったら創れ。
あれこれ考えすぎるな。

ってことだね。



【パパの死により】

本当にやりたいこと、好きなことに全力を尽くす人生を送った人の死に顔を見て、こんなにも満足した顔で旅立てるんだなと思った。

パパはいつも「努力は裏切らない」、「努力、努力」「がんばんなさいよ」と言っていた。

私は努力という言葉が嫌いだった。
努力とは嫌なことでも頑張って最後までやりましょう。みたいなイメージで捉えていたからだ。

でも努力って「目標を実現するために心や身体をつとめること」(広辞苑第五版)(つとめるとは、力を尽くすこと)なんだな。

好きなことをする人生なのに、なんで努力なんだって思っていたけれど、おそらくパパは、「自分が自分であるために力を尽くしなさい」と言っていたんだなと最近思うようになったんだ。

自分が自分であり続けることの努力だね。

そしてパパを見送り、死をいかにしあわせな出来事に変換できるかということを思っていた。

これについては4月の個展で。

《 どの時代も一つの衝撃が歴史を塗り替えてきた。しかし、時を経て新しく生み出されたものでもどんどんマンネリ化していく。常に変化し続けることが大切だ 》




【言い訳に聞こえてきた自分の声】

自分が思っていたことが、言い訳に聞こえてきて嫌んなった。

師匠も言うように、「自分を追い詰めてこそ創作に火がつき野生の本能が現れ、作品を創ることができる。だから自分を追いこめ!」ってのは確かにそうだが、自分のなかで何か言い訳になっているのではないかと感じてならないんだ。

今、恵まれた環境に居るからこそ出来ることも少なからずあるはずで、この環境で力を尽くさずして上記の言葉に逃げているのではないか。

そして尊敬する人からの言葉にこそ、振り回されないことだな。あの人がああ言ってくれた、あの人はこう言ってくれた。
すべて有難い私へのメッセージであることは確かだ。
ただ、鵜呑みにして自分に耳を傾けなくなってしまうのは危険だ。そこに盲目的になってはならん。自分は本当はどうしたいのか。

逆に考えすぎないことも大切だ。
私が立体造形ではなく絵の道に進んだのは国語の先生からの「絵の方が合うんじゃない?」という一言だったように。

すべてがベストになることを知っているからこそ、
信頼してるからこそ、自分の直感を使う。

「これだ!」
「なんとなくまだやめておこう」
「今だ!」
「よし、まだ様子を見よう」

根拠はいちいちいらない。
理由はいらない。

「そうしようと思ったから」それだけ。

ただ、創作しているとだんだんと家のスペースじゃ収まらなくなってきているのも事実で、新たに作業スペースを確保する必要も近いうちに出てくるだろう。

いつも私が例えに使うことだが、5歳の子が3歳の頃の自分の服を着れなくなるように、自分にぴったりだと思っていることでも、自分が成長するに従い、それはもう窮屈になってしまったりする。

自分の成長サインに無視をせず、どんどん環境を変化させていくこと。

今回の長倉さんのメルマガにも《人生=人間関係=環境》と書いてあったが、ホンマにこれは同感で、

自分が出会う人によって、人生はオモロイ展開をしていく。

いつどこでどんな人に出会うかも分からない。

自分の常識じゃないところにいる人(つまり非常識だなと思ってしまう人)と出会ったら、
もしかすると、自分のちっさい常識を覆すような人かもしれないから、その人を観察することも一つの勉強にもなるし、知らない世界を見せてくれるかもしれない。

ただその人が、こんなの常識だろ!って押し付けてきたら逃げよう。

常識とは人に押し付けるものじゃない。

その人の過去に積み重ねた経験だ。

時代は変化している。







どうしてもアメリカならではのハンバーガーを食べたくて、誕生日の今日はニューヨークで一番人気らしいSHAKESHACKのハンバーガーを食べた。


これからアメリカ時間での私の誕生日が始まる。
日本時間+アメリカ時間で私の誕生日は38時間!!

なんやこれー!

ってことで、タブレットが再起動しまくっているが、無事にblog上げることが出来た。

今週帰国するので、帰ったら一挙に一眼で撮影した写真とともにblogを更新する。

0 件のコメント:

コメントを投稿