ラベル

2014年10月31日金曜日

パックリ2つのわたしたち。





パックリ2つに分かれたお月さま。

もう半分の私はどこだ?

もう半分の私に会いたいよ~。



いつもは通らない道を自転車で走る。

京都の町を走っている錯覚に陥る。

しかしここは札幌だ。


私はどこを走っている。


私はどこを走っているんだ?



会いたいよ会いたいよ。

会えるね。


やっと会えるね。

私はトリップ出来ちゃうんだ。


時空も超える。


私は自分の夢の力に驚く。


「あぁ、ほんとにそうなった」







ここ数日、冬眠状態だった。



先日まで、朝5時くらいに寝て、昼前に起きる感じだった。


ママに、たまにはゴールデンタイムに寝てみたら?と言われ、

10時~2時の間には寝てる状態でいようと思い、


9時30分に眠りについて、

スッキリ目覚めた~!と思ったら23時57分で、

まだ日付も変わっていなくて、

それから8時くらいまで寝れなくて、

8時くらいからまた寝て、


結局、昼前に起きて、


今日こそゴールデンタイムに寝るんだ!!と意気込んで

10時に寝たら、


起きたの昼前で、13時間寝ちゃって。




どっちにしろ私は昼前に起きる人間になってしまったようだ。





ちょくちょく2階に、特に寝室にいるとゴーゴー聴こえるんだ。

ママは感じない。





UFOさんが近くに来ているなと感じるのよ。

いつも近くで見守っていてくれてありがとう。





先日出会った方に、「君、みえるの?」と訊かれたんだ。前触れなく。

「見えはしないけど、音や気配を感じる」と伝えると、

「君は視覚じゃなくダイレクトに受け取っちゃう子なんだね」と言われたの。


妙に納得したわ。







まつエクのサバイバル。

まつ毛、生き残っているのは右ばかり。


今日、やっと付け直しに行ってこれたよ。


まつ毛パワーおそるべし。


やっぱり気分が全然違う。



















先日、お昼にママが作ったラーメンを部屋まで持ってきてくれた。

6割埋まったネアリカを見て、

「おぉ~!キレイ!!こうなったんだー!」と感動してくれた。


単純にうれしい。

反応に嬉しくなる私は、結局他人の目を気にしているのか。

そこは直結しそうで直結ではない。

私が言っている、他人の目を気にしているというのは、

こういうのを作ればウケが良いかな?とか狙ってしまうこと。

自分のつくりたいものを作ったときにはみんながどんな反応するのかは興味ある。




作品は発表して初めて「作品」になるんだと。

他人という鏡に照らされて、作品は独り立ちするんやて。


師匠はこう述べている。



「昔は自分を天才だと思い込んでいたし、

『つくるだけつくっておけば、ゴッホのように誰かが見つけてくれるだろう』と、タカをくくっていた。

 甘い。

 ゴッホだって、ゴーギャンをはじめ画商の弟など、
 さまざまなコネクションを求めつづけたから『発見』された。

 作品は発表してはじめて『作品』になるのだ。
 他人という鏡に照らされて、作品は独り立ちするのだ。

 『世間はわかってくれない』という、自己完結する過保護な親になっちゃいけない。
 
『作品』という子どもは、『作者』という親とは別の人格だから。

 自腹で個展を開くのも、路上で歌うのも、自主出版の詩集を売るのも、
 公募するのも、ギャラリーや出版社に持ち込むのもいい。

 とにかく自分の世界を閉じないことだ。
 自分の作品を見た一〇〇人が一〇〇人とも称賛してくれるなんてあり得ないからね。
 おうおうにして発表前のアマチュア・アーティストはこれを望んでしまう。
 ひとりでも批判があると、自分の殻に引きこもる。


 甘い、甘い。


 発表し、批判され、ボロボロになって、九九%のアーティストが消える。
 それでも創りつづける1%だけが残る。
 創ることは楽しい。
 しかし、創りつづけることは苦しい。
 たったひとりにでも届けばいい。 それだけで、オレが、作品が、この世に生まれてきた価値があるというものだ」

 

とりあえず、私は、眠り続けてしまったから、作品をつくる。