ラベル

2014年9月27日土曜日

みせる意識とみられる意識についての考察






ってか、そんなもんどうでもいいんだよ!!


という結論。


結局アート作品も、音楽も、いろんなことでも言えることだが、


鑑賞者は、その時の心理状態のフィルターを通して観ている。



みんな見えないところで何かを抱えているんだ。





作品を見て、

これ、なんか好きだな~ と感じるとか、

なつかしいな~ と感じたり、

ふ~ん と流すか、

へー で終わるか、

作品って、そんなもんじゃないのか??







超有名で、超人気の古典絵画を観たときも、

おぉー!これがあの有名な作品なのね~!!ふ~ん。



で終わるんだ。私の場合。


技法とかどうでもいい。


あ、言っちゃった。





んでよく知らないけど、迫力ある作品に

なんだよこれー!!って圧倒されたり。

その時鑑賞している私は、みせる意識とか、みられる意識とか考えていない。





きっとその作者も、そんなこと考えずに

「無我夢中でやっていたらこうなりました」という状態なんやと思う。


実際私も、今回搬入のときは、とにかくどうにかせなあかん!って感じで、貼りまくった。

貼ってたらこっちに隙間が出来たから赤い紙で埋めようとか、

その時その時、自分が納得できる形で仕上げていくことに精いっぱいだった。






みせる意識やら、みられる意識やら、

そんなん考える余裕があるのだったら、

自分が求める最高だと思えるものを作ることに全力を尽くしたい。





それでさえも難しかったりするんだ。






最高なものができた~!

と思っても、一晩寝て起きて見ると、

これじゃアカンなと感じたりもする。


何かが手の中からするすると逃げていく。



理想は、自分を一本のチューブだと思うことだ。


そのチューブを綺麗にしておく。


チューブを通して見えない大いなる力か何かからインスピレーションを受け取り、

自分の身体を通して形作られていくのだ。





これが出来たときには、低次元の会話は必要なくなる。



つまり、どういうことかというと、



鑑賞者は自分のフィルターを通して観ているから、

作者はそれにいちいち反応せず、

作りたいものを作っていけば良いのだ。






Perfumeのプロデューサーで有名な中田ヤスタカ氏は

インタビュアーの「今後どのような作品を作っていきたいか」の質問にこう答えている。




「常に自分が最高だと思えるものを創っていくだけです」




私はとても納得した。









作る側があれこれどうこう意識しても文字や言葉にしないと伝わらなかったりもするし、

したところで鑑賞者が目にしないと伝わるわけもない。

私は伝えたいんだ!と押し付けることもする気はない。




今回個展の搬入をした夜に、お風呂ギャラリーの天井と床が納得いかないから急遽紙を繋げて塗る作業をした。


その時に、こんなんじゃダメだ全然ダメだ。と言葉があふれ、泣きまくって黒を塗りまくった。

その時のブログ→ 9月17日のblog ここに書いてはいけない超駄文。


そんなことがあったのに、

見に来てくださった方々は、


生きてる喜びがあらわれていますね!とか、

何万分の一の瞬間に閉じ込められたような感覚になった!これはいい!とか、

エネルギーが爆発している!とか、

心地が良いとか、ずっと包まれていたいとか、

あったかいとか、胸が熱くなったとか、すんごいとか、

低血圧な私も血圧あがりました、ありがとうございますとか、

えらいことになってるやんか!とか


言ってくれたんだ。



えぇ~!!!

みんなそんなこと思ってくれるの~!!??って感じやった。



実際、私はまだまだこんなんじゃダメだと思っているんだ。



だからこそ自分でも、これから自分がどんなものを創っていくのかが楽しみだったりする。

















いいんだよ、

大丈夫だよ、

君は自分のしたいようにして生きていけば良いんだ。



すでに君は最高なものを秘めているんだ。

その力を解き放つんだ。


きっと今まで以上に最高の人生になっていくよ。



わたしは知っている。

大丈夫だよ。